大学院の科目で「教科におけるICT活用論」を担当しています。
選択科目で、この科目に興味のある院生だけが履修する講義です。
全15コマ、全てICT活用分野の理論と実践で詰めれるので、私としてはやりがいのある講義です。
今年は履修した院生に特徴があります。
昨年度は全てM1の受講生だったのですが、今年はM2が大半を占めています。しかも、単位として認められる(私が所属する領域の)院生だけでなく、他コースからも5名の受講院生がいました。
受講理由を聞けば、8割の院生は
「昨年度はこの同じ時間に行われている赤坂真二先生の学級経営の講義をとっていたので。」
という。なるほど、やはり人気大学教員は違う。
一方、他コースからの受講者は
「M1の頃の榊原先生のオムニバスの講義が90分ずっと面白くて、受講しました。」
思わず、ありがとうございます、と院生に頭を下げました。
理由は何にせよ、昨年度中に単位を取り終わることができたにも関わらず、あえてM2になってこのICT活用論を受講しようとするその姿勢が素晴らしい。
また、M2になると、学びの意味や捉え、学ぶ姿勢が変わってくるので、この大半がM2を占める講義もまた面白い。
さて。
本日の講義の中で、院生たちが一番の真剣な表情を見せたスライドがこちら。
真剣に、深刻に考えている様子でした。
この文献に私が出会ったのは2017年ごろだったと記憶しています。
まだGIGAスクール(2021)前で、他国に比べICT環境整備が圧倒的に遅れていた当時の日本の教育現場に警笛を鳴らすかのような表現です。
「もはや周囲の経済的、社会的および文化的な生活に十分参加できないことになる」
これは、日本国憲法第25条「生存権」の一節みたいで、それが侵害されることを指摘しているように感じませんか。ICTは私たちの生活にはなくてはならないもので、それを活用できなければ、それは普通レベルの生活さえ脅かされるようになるとも捉えられます。
私はこの一文を読み、ショックを受けました。
当時は、どちらかというと社会科教育に研究の軸足がありました。
この文献との出会いは、その軸足を教育工学へと移すきっかけの一つとなったのでした。
今日の院生たちの意欲的な姿を見て、来週からこの講義「教科におけるICT活用論」を気合い入れて取り組もうと思いました。