今月の学部ゼミでは、3年生による卒業研究に関する「問題の所在」の発表が行われています。
3年生は20本以上の論文を読み、自分のしたい研究のイメージをフォーカスさせる内容でプレゼンしています。
発表を聴いて、私としては3年生のこの時期なら満足いく内容だなあと、後でニコニコ聴いていたけれど、4年生は容赦なしです。
「参与観察するだけでこの課題は明らかにできるのか。」
「研究のX軸が複数入っているかな。」
「〇〇の定義が述べられてないから議論できない。」
とバッサリ。
なんだか自分の院生時代の姿が重なります(^◇^;)
ゼミでは
「議論はクリティカルな姿勢で。ゼミが終わったらきれいさっぱり」
を言い聞かせています。
上のような発言が出ても決して険悪な雰囲気にはなりません。
「個人」を批判しているのではなく、あくまで個人の「論」を批判的に捉えて議論するという前提をいつも指導しています。
この「クリティカル」という言葉はよく間違えて捉えられます。
日本語で言う「批判的」、ネガティブで攻撃的なイメージで考えていません。
自分の意見にも反省的な思考を向け、根拠を重視しているか、推論の過程は正しいか、その上で相手の意見の問題点を指摘することが「クリティカルな思考」だとしています。
Ennis(1987)*のクリティカル・シンキング(批判的思考)の定義から引用しています。
4年生の5人は卒論を完成させ、うち3人は大学の紀要論文を投稿しています。
これまで身につけた研究の力をゼミに置き土産のように、残していってくれているようです。
また、今日の収穫は2年生の発言が増えてきたこと。
今年度のゼミはあとわずかですが、最後まで先輩から多くを得てもらいたいです。
*Ennis,R.H.(1987) A Taxonomy of Critical Thinking Dispositions and Abilities. In J.B. Baron & R.J. Sternberg (Eds.),Teaching Thinking Skills : Theory and Practice. W.H.Freeman and Company, New York,pp.9-26.